街探検・幻の定禅寺へ行く

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仙台市民なら誰でも聞いたことがある寺の名前「定禅寺」ですが、現代の人は誰も見たことがない寺です。現在は光のページェントやジャズフェスティバルなどが行われる道路に「定禅寺通」と名前が残っていますが名前の元になった定禅寺という寺は今はありません。

定禅寺通とは、もともと定禅寺へと続く門前町だったので名付けられましたが定禅寺という寺はどこにあったのでしょうか。今回は幻になった定禅寺があった場所に行ってみたいと思います。

定禅寺通は仙台城の方から定禅寺へと向かう道だったので西公園側から東へ進んで行きます。

現在は片側3車線で中央分離帯が遊歩道になっている幅46mの広い道路ですが、戦後に拡幅されたものでケヤキ並木もその時に植樹されました。昔は幅5mの細い道だったそうで今の遊歩道くらいだったのでしょうか。

今の時期の定禅寺通は光のページェントの準備が進んでいます。遊歩道を東へと歩いて行きましょう。

国分町や一番町などの繁華街を過ぎて東二番丁との交差点まで来ました。ここで遊歩道は終わります。

東二番丁交差点の北東側に勾当台公園があります。昔の定禅寺通は勾当台公園のところで終わっていました。

勾当台公園の南西角から北東へ向かって石段があり、上って行くと定禅寺の山門がありました。

現在も勾当台公園の北東側は広瀬川河岸段丘の段差があって一段高くなっていますが、この上の部分が定禅寺の境内だったんですね。ちなみに勾当台というのは、この場所に住居を与えられた花村勾当という人物の名前から付けられました。定禅寺の門前に住んでいたんでしょうね。

現在の石段を上って公園の上へ行ってみましょう。

昔の定禅寺境内に到着しました。このあたりから背後に建つ合同庁舎のあたりが境内だったようですが、当時をしのぶようなものは何もありません。定禅寺は伊達家の祈祷寺として禄を与えられていましたが、明治維新以降に伊達家の庇護を失って廃寺になってしまいました。

「定禅寺通」という道路の名前として残り知名度も高いのに何も面影がないのは淋しいような気がします。せめて公園か合同庁舎の一角にでも石碑や説明板などがあればいいのになと思いました。


※参考文献
佐々久「仙台あちらこちら」宝文堂
河北新報出版センター著・発行「忘れかけの街・仙台」




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