街探検・馬上蠣崎神社、自殺した政宗公の愛馬を祀った社

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悲しい最期を遂げたという伝説が残る、伊達政宗公の愛馬「五島(ごとう)」を祀った神社「馬上蠣崎神社(うばがみかきざきじんじゃ)」を見てきました。

青葉区片平の仙台地方裁判所から西へ向かった場所で青葉消防署片平出張所の北側です。良覚院丁公園に隣接した場所にあります。

鳥居の中から見ると道路を挟んだ向かい側に消防車や救急車が並んでいるのが見えました。

鳥居の横に「馬上蠣崎神社」の由来が書かれた説明版がありました。伊達政宗公の愛馬「五島」が年老いたため大坂出陣にお供出来なくなったことを悲しみ、本丸南側の崖から身を投げて自殺してしまいました。それを哀れんだ政宗公が飛び降りた崖下の川内追廻の蠣崎という場所に五島を葬って神社を建てたのが馬上蠣崎神社の始まりです。

明治時代に仙台城が陸軍の管轄になったため、良覚院という寺の跡地の一角に移ったのが現在の馬上蠣崎神社です。良覚院は伊達家の庇護を受けていた修験道の寺でしたが寂れて廃寺になり、現在は良覚院丁公園という公園の名前になって残っています。仙台市内には定禅寺や花京院など寺がなくなってしまっても地名として残っているものが結構ありますね。

神社の片隅には良覚院時代からの役小角の石像が今も残っています。役小角は修験道を開いたとされる人物です。

小さな神社ですが地元の人たちから「五島墓さん(ごとはかさん)」と呼ばれて信仰を集めています。

1967年(昭和37年)に社殿が火災で焼失、現在の建物はその後にコンクリート製で建て直されたようですね。

馬上蠣崎神社がもともとあった場所にも祠があるというので、次回は川内追廻へ行ってみたいと思います。

※参考文献
田村昭「仙台の珍談奇談」宝文堂
古田義弘「仙台城下の町名由来と町割り」本の森




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