街探検・鹿落坂を行く、その1

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仙台市中心部近くとは思えないような自然の風景が残る「鹿落坂(ししおちざか)」を見てきました。

鹿落坂の背後に鬱蒼と茂る木々は 伊達政宗公が眠る霊廟「瑞鳳殿」の周囲を囲む杉林で、昔のままの状態で生い茂ってます。

中心部の西側を流れる広瀬川の急峻な崖沿いに切り開かれた坂道が「鹿落坂」です。霊屋橋を渡って坂を登って行きましょう。

中心部と向山八木山方面の住宅街を結ぶ近道として通勤ラッシュ時など交通量が多くなりますが、この日は車の通行が少なかったので歩いて登るには最適でした。

坂の登り口に石碑とお地蔵様が祀られていました。石碑は「泰山府君の碑」で、十一代藩主伊達斉義公が崖が崩れないようにとの願いを込めて建立したものですが、お地蔵様は後世のものです。ここは瑞鳳殿の裏側の崖で、昔は頻繁に崖崩れが起きたので斉義公が石垣を積み上げて崖崩れ防止の大規模な工事を行って鎮所と称しました。

石碑の横に、誰が書いたのか不明ですが石碑についての説明文が置かれていました。崖崩れ防止の工事は仙台城の城壁以上の大規模なものだったそうですが、今では知る人も少ないので説明文が置かれたのは非常にありがたいことだと思います。

現在、鹿落坂は拡幅されて舗装されたので当時の石垣がどの程度残されているのかは不明ですが、今でも坂道沿いに石垣の一部を見ることが出来ます。

昔は崖の上から川岸までびっしりと石が組み上げられていたそうです。石垣を右手に見ながら坂を登って行きましょう。

鹿落坂(ししおちざか)の名前の由来は諸説ありますが、昔は鹿や猪が水を飲むために川岸まで坂を下りた場所だったので「鹿や猪が下りる坂」という意味で名付けられました。仙台弁で「下りる」を「落ちる」と言うので「鹿落坂」になったそうです。

崖下には広瀬川が流れています。今でもたまに川岸でカモシカを見たという話がニュースになることがありますが、鹿落坂を下りてくるのではなくて上流の山の方から川伝いに来ているんでしょうね。

坂道の途中から振り返って見ると急な傾斜がわかります。元々は仙台開府前の中世の東街道の跡だそうで、藩政時代も長町方面から仙台城下へと入る近道として利用されていたそうですが、所々に岩が突き出ていた狭い崖沿いの道で歩くのが大変な難所だったとか。

坂の途中には昔ながらの鹿落旅館がありましたが東日本大震災で建物が崩れて解体されてしまい、跡地には新たにカフェが建てられました。

鹿落坂は右に曲がって登り切って終わります。この先は傾斜の少ない道路が国道286号線の越路交差点まで続きます。

坂が右へ曲がる手前から振り返って見ると仙台市中心部が一望できる絶景スポットになっています。広瀬川の緑の向こう側に高層ビル群が立ち並んでいて、まさに杜の都ならではの景観を楽しめます。次回の街探検は鹿落坂の続きです。

※参考文献
三原良吉「郷土史仙臺耳ぶくろ」宝文堂
三原良吉「廣瀬川の歴史と傳説」宝文堂
古田義弘「仙台城下の町名由来と町割り」本の森




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