街探検・清水沼公園、政宗公が軍容を整えた沼が公園に

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宮城野区清水沼の「清水沼公園」を見てきました。

清水沼公園は名前の通りに昔は沼でした。 地図で見ると公園の形が沼の形のままになっているのがわかります。

公園のあたりは南側の国道45号線方面から行くと低くなっている場所で昔は湿地帯だったそうです。現在は公園を囲むように道路があり住宅が建っています。

公園の南半分はグラウンドになっています。何もない平らな地面が沼だった頃の風景を想像させました。

北側は遊具が設置されて木も植えられているので、あまり沼の面影は感じられませんね。

公園の中央に「清水沼跡」の碑があり清水沼の由来が書かれていました。それによると「清水沼は大昔大沼と称し、ここから考勝寺のほとり八つ塚にかけて谷地や沼が一面につづいていたと伝えている。天正18年(1590年)伊達政宗が岩切城を攻めた時この沼のほとりで軍容を整えた。その折軍装が澄明な水面に映っていかにも勇ましく、かつ壮観であったのでスズ沼といったと伝えている。」

「スズ」は「涼し」で清く冷かな意味、そして湧き出た綺麗な清水をたたえた沼であったので後世清水沼と書き「しずぬま」と称えるようになり、この周辺一帯の地域を清水沼と呼んでいる(仙台地名考より抜粋)」と書かれていました。ちなみに石碑の「清水沼跡」の文字は沼が埋め立てられた当時の島野武仙台市長が書いたものだそうです。

石碑の後ろの方に石が組み上げられていて中から水が湧き出ていました。もともと綺麗な清水が湧き出ていた沼だったので、オブジェとして湧き水を再現したのでしょうね。

湧き出た水は石碑がある公園の中央部分をぐるっと囲むように作られた水路を流れていきます。

水路には小さな橋が架けられています。

水路は小さな池に注ぎ込み噴水が出ていました。以前はコンクリートで作られた小さな池があっただけでしたが改修されてとても良い雰囲気になりましたね。

昔の綺麗な清水が湧き出ていた時代、沼では魚やエビが獲れました。明治から大正の頃には、それを料理して出す料亭が立ち並び近くの榴岡にいた兵隊の憩いの場になりました。質の良い湧き水を利用するためにキリンビール小田原工場なども近隣に出来ました。

戦後、住宅が増えてきて生活排水などが流れ込むようになり、沼の汚染が進んだために昭和40年代に埋められて公園になりました。現在は桜の隠れた名所として周辺の人たちの憩いの場になっています。時代が変わり沼が公園に変わっても地元の憩いの場には変わりはないようですね。

※参考文献
河北新報出版センター著、出版「忘れかけの街・仙台」




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