街探検・燕沢の「蒙古の碑」

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宮城野区燕沢の善応寺に「蒙古の碑」といわれる石碑があるので見てきました。利府街道の東仙台を越えたあたりの細い道路を北へ入って行くと善応寺があります。

善応寺の「蒙古の碑」は仙台市内に複数ある蒙古の碑(モクリコクリの碑を含む)のなかでも一番有名な石碑です。

山門をくぐって境内に入ると、多くの石碑や石像がありました。本堂は更に石段を登った上にあります。境内が広くて立派なお寺ですね。本堂の裏山には横穴古墳群があり、市の史跡に指定されていて太古からの遺跡が多い場所です。

蒙古の碑は山門の左側にあったので行ってみましょう。

以前は木の柱に「蒙古の碑」と書かれていましたが、新しい立派な石柱になっていました。その奥に古い石板が置かれています。

燕沢の蒙古の碑です。高さは1mを軽く超える程の大きさで表面には文字が刻まれています。以前は燕沢の別の場所にありましたが、長い間、土の中に埋もれていたのを掘り出して現在の場所に置かれました。そのためか表面の摩耗も少なく文字も良く見えましたが、弘安5年(1282)の年号以外は、漢字の字体を省略して単純化した文字で書かれていて、もとの漢字が分らないものが多く、ほぼ解読不可能だそうです。

中国(当時の南宋)から帰化した僧が元寇で犠牲になった蒙古兵の供養のために建立したと言われています。石碑に書かれている内容や、なぜ燕沢に建てたのかなど不明な点が多い石碑ですが、昭和16年(1941)には当時の蒙古の首席、徳王が訪れて記念植樹をしているほど知られた石碑だったようです。

謎の多い「蒙古の碑」ですが、地元には伝説が言い伝えられています。それによると、元寇で生き残った蒙古兵が奥州まで逃げてきて、疲れ果てて倒れたところを僧侶に助けられました。しかし幕府に知られてしまい、僧侶は泣く泣く蒙古兵の首をはねて鎌倉へ送ったそうです。蒙古兵の首をはねた時に血しぶきがはねて近くの沢まで飛び散り一面血に染まったことから、このあたりを「血ばね沢(ちばねざわ)」と呼ぶようになり、それが訛って「燕沢(つばめざわ)」になったそうです。燕沢に住んでいる人にとってはあまりいい気分がしない伝説ですが、「信じるか信じないかは、あなた次第」ということでしょうね。

※参考文献

仙台漫歩編集委員「仙台漫歩」宝文堂
古田義弘「仙台城下の町名由来と町割り」本の森
河北新報出版センター著・出版「せんだい百景いま昔」

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