街探検・仙台七坂を巡る・その1、大坂

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「仙台七坂」って知ってますか?藩政時代の仙台市内にあった代表的な七つの坂道のことで、選び方には何種類かあったようですが、大坂、扇坂、新坂、元貞坂、茂市ヶ坂、石名坂、藤ヶ坂の七か所が、現在一般に言われている七坂です。向山や八木山、台原や中山、国見などの住宅街には、もっと急傾斜で長い坂道が沢山ありますが、周辺の住宅地はまだ山だった頃のことです。当時の仙台を代表する坂道がどのようなものだったのか、見ていきたいと思います。1回目は大町から仙台城へと向かう「大坂」です。

青葉通と西公園通の交差点、地下鉄東西線大町西公園駅の入り口近くに「大町頭」「大坂」と刻まれた辻標が立っています。この辻標は藩政時代のものではなく、仙台市が古い町名や通りの名前を残そうと1970年代から90年代にかけて設置したもので、市内88か所に点在しています。この辻標を探して歩くのも面白そうですね。

西公園の南側を、辻標に書かれているように大町から広瀬川に向かって下っていく坂が「大坂」です。

下の方から振り返ってみました。現在は緩やかな直線の坂道ですが、藩政時代は途中で北側へ曲がり、更に南へ曲がる急な坂でした。北側の西公園が一段高くなっていますが、そちら側に「くの字型」に曲がっていたようです。

仙台城に一気に攻め込まれないための防衛上の工夫だったんでしょうが、明治時代の初めに緩やかな傾斜の坂道に変えられました。

大坂の一番下まで来ると、広瀬川にかかる大橋があります。コンクリート製の和風な欄干が特徴的なデザインの橋で歴史的な場所に向かっていることを実感させますね。

藩政時代は木製の橋で、明治時代に鉄橋に架け替えられました。現在の橋に作り変えられたのは昭和になってからのことで、橋の欄干に「昭和13年(1938)6月竣効(竣工)」と刻まれています。最近、耐震補強と劣化防止の補修工事が行われて綺麗になりました。

大橋の上から振り返って大坂を見てみました。藩政時代の大橋は現在よりも少し北側のところに架かっていたそうです。

広瀬川の西側へやって来ました。写真奥の坂道の上に大手門がありました。この道路も昔は真っすぐ大手門に向かっていたのではなく、大橋と同じように今よりも少し北側を道路が通っていて大手門の手前で南に曲がって大手門に向かうようになっていました。現在、隅櫓の前から宮城県美術館の方向へと向かう道路に、その面影が残っていますね。次回は仙台七坂の2回目、扇坂を見に行きます。

※参考文献
古田義弘「仙台城下の町名由来と町割」本の森
佐々久「仙台あちらこちら」宝文堂




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