街探検・仙台青葉まつりの山鉾

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令和初の「仙台青葉まつり」が5月18日・19日の二日間開催されます。18日の宵まつりには街の至る所で「すずめ踊り」が踊られ、19日の本まつりでは11基の山鉾巡行や武者行列が東二番丁や定禅寺通を練り歩きますが、祭りに先立って一番町のアーケード街に本まつりで巡行する11基の山鉾が展示されます。山鉾を間近でじっくり見られる絶好の機会なので、今回は全ての山鉾を見て行きたいと思います。サンモール一番町の方から順番に見て行きましょう。

山鉾の前には説明が書かれたパネルが置かれていたので、その内容を抜粋してお伝えします。1基目は「政宗公兜山鉾」です。
日専連仙台創立60周年を記念して製作された最も大きな山鉾で、高さ6.2m、全長6.35m、重量8tで、一番上に政宗公の胸から上の兜が乗っています。山鉾巡行の時には政宗公の正室、愛姫に扮した少女が搭乗します。1995年製作。

七十七銀行の「七福大太鼓山鉾」
藩政時代に仙台城下に時刻を告げた「胴大太鼓」にちなんだ直径2.2mの「七福大太鼓」が乗せられています。高さ5.4m、全長6.4m、重量6t。1989年製作。

阿部蒲鉾店の「大鯛山鉾」
世界有数の漁場、三陸沖が近くて海の幸が豊かな仙台の大漁を祈願したもので、一般から寄せられた願掛け絵馬千数百枚が飾られています。絵馬は祭り後に神社に奉納されるそうです。高さ5.5m、全長6.35m、重量5.5t。1988年製作。

萩の月でおなじみの菓匠三全の「青葉駒山鉾」
かつて若林区木ノ下は良馬の産地で、国府多賀城から朝廷に献上する最良馬の胸に下げた木製の馬型が起源といわれている玩具「木ノ下駒」を乗せています。高さ5.3m、全長6.4m、重量6t。1989年製作。

東日本旅客鉄道(株)仙台支社の「雅山鉾」
青葉まつりは藩政時代から行われていた「仙台まつり」が元になっていますが、明治時代に電線に引っかかるというので山鉾巡行が無くなり、昭和40年代には交通量が増えたため祭りそのものが一時中止されました。昭和60年(1985)に青葉まつりが再開、昭和63年(1988)には昔の山鉾巡行を復活させようと5基の山鉾が製作されました。雅山鉾はその時から参加している初代の山鉾で、大崎八幡宮の桃山建築様式を取り入れた装飾がされています。高さ5.5m、全長6.35m、重量6.5t。1988年製作。

(公財)仙台観光国際協会の「政宗公山鉾」
伊達政宗公没後350年に復活した青葉まつりの山鉾巡行の一番先頭を行く山鉾で、屋根の下には政宗公の鎧兜が乗っていて、その前方に仙台市長が武家装束を身に着けて登壇します。高さ5.8m、全長6.35m、重量7.5t。1989年製作。




NTT東日本の「囃子山鉾」
幅広い芸能を愛し保護した政宗公の伝統を受け継いで、NTTの社員が山鉾の上で笛や太鼓を賑やかに奏でながら巡行する山鉾で政宗公の陣羽織がデザインされています。高さ5.7m、全長6.35m、重量6.5t。1988年製作。

藤崎の「えびす山鉾」
仙台の老舗百貨店、藤崎はもともと呉服屋で「得可主屋(えびす屋)」という屋号だったことから商いの神様「おえびすさん」を氏神様として信仰し屋上に「藤崎えびす神社」を祀っています。仙台の将来に隆盛と幸福をもたらすようにとの願いを込めて商売繁盛、招福の神様、えびす様を山鉾の上に乗せて巡行します。

株式会社仙台水産の「御神船山鉾」
貞山運河の物資輸送や漁業に活躍した船舶や鹽竈神社の海渡りに使われる御神船の姿を表現した山鉾。高さ5.5m、全長6.4m、重量6.5t。1989年製作。

報道六社の「大黒天山鉾」
河北新報社、東北放送、仙台放送、宮城テレビ、東日本放送、エフエム仙台の仙台本社の報道六社が運行する山鉾で食物豊作を司る大黒天を乗せています。高さ5.2m、全長6.35m、重量6t。1988年製作。

最後は勝山企業株式会社の「唐獅子山鉾」です。
1688年創業の蔵元「勝山」は「仙台勝山館」「宮城調理専門学校」を擁する勝山企業として、威風堂々とした力強いイメージの唐獅子をモチーフとして山鉾の上に乗せました。高さ5.3m、全長6.4m、重量5.5t。1989年製作。
以上が山鉾巡行で使用される11基の山鉾ですが、定禅寺通にも1基だけ山鉾が展示されていました。

藤栄商事が寄贈した「お囃子山鉾」です。以前は下の部分だけでしたが、提灯や瓢箪が上に乗せられていました。他の山鉾より若干小さいようですね。

定禅寺通には大きな櫓門も設置されていて祭りムードを盛り上げていました。仙台七夕祭りとともに必ず雨が降るというジンクスがある青葉まつりですが、今年は晴天に恵まれそうです。




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