前回は青葉区片平にある伊達政宗公の愛馬を祀った「馬上蠣崎神社(うばがみかきざきじんじゃ)」を見てきましたが、今回は蠣崎神社が元々あった場所を見に行きたいと思います。川内追廻の公園整備地区を左手に見ながら南方面へ進んで行きます。
青葉山公園テニスコートの向かい側の場所です。
地図で見ると仙台城本丸の崖の真下なのがわかりますね。
青葉山公園テニスコートの西側に林の中に入って行く道が整備されていて、奥には鳥居が見えました。
鳥居の前には2体のお稲荷様が置かれていました。どちらも比較的新しいもののようですね。トンネルのような鳥居をくぐって中へ入ってみましょう。
複数の鳥居を通って山道のような参道を進んで行きます。この日は晴天でしたが雨上がりの時などは足元がぬかるんで歩くのが大変そうです。
少し行くと再び鳥居が見えてきました。
最後の鳥居の先は石段になっていて奥に祠が見えてきました。
石段を上がった奥の突き当りに小さな祠がありますね。
「蠣崎稲荷大明神」です。もともと馬上蠣崎神社があった場所で同神社が片平に遷った後に奉られました。
祠の横に1973年(昭和48年)に建てられた石碑があり「蠣崎大明神」「五島馬頭観世音」と刻まれていました。「五島」は伊達政宗公の愛馬の名前で、年老いて政宗公のお供が出来なくなったことを悲しんで仙台城本丸の崖から身を投げて自殺したという伝説が残っています。そしてこの場所が本丸直下の崖下で五島が飛び降りた場所と言われています。
祠の背後には険しい崖が聳え立っていて五島が飛び降りたことを実感させられました。ここに五島は葬られて馬上蠣崎神社が建立されました。明治になってから陸軍の管轄地になり神社は片平へ遷りましたが小さな祠が残されたのは、ここに眠る五島にとっては良いことだったのではないかなと思いました。
※参考文献
田村昭「仙台の珍談奇談」宝文堂