街探検・一番町三社まつりの神社を巡る。その3、和霊神社

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一番町三社まつりの3つの神社を巡る、3回目の最後は「和霊神社」です。ぶらんどーむ一番町のアーケードの中には和霊神社と書かれた垂れ幕がいくつも吊り下がっていましたが、神社はどこにあるのでしょうか。

和霊神社は、ぶらんどーむ一番町と広瀬通の交差点にあるファッションビル「フォーラス」の屋上に祀られているんですね。

このなかに神社があるとは思えないような雰囲気ですが、さっそくフォーラスの店内に入ってみましょう。

エントランスにあるフロアガイドの屋上部分に、和霊神社がありましたが「参拝希望の方はインフォメーションまでお声掛けをお願いいたします」と書かれていました。受付に参拝したい旨を伝えると快く応じてくれましたが、警備員の付き添いが必要ということで警備員が来るのを待ってから一緒にエレベーターで屋上まで上がりました。ちなみに普段はエレベーターの屋上ボタンは作動しないようになっているそうです。

屋上ではビアガーデンの準備をしていましたが、屋上の一角に社殿が鎮座していました。確認しませんでしたが、ビアガーデンに来たときには参拝も出来るんでしょうかね?

受付でもらった小冊子には和霊神社の由来が書かれていました。それによると、和霊神社は愛媛県宇和島市に本社があります。宇和島は伊達政宗の長男で側室の子である秀宗が徳川秀忠の命により伊予宇和島十万石に封ぜられた藩です。その時に御守り役として山家公頼が一緒に宇和島へ行き、家老として多くの功績を残したものの政争に巻き込まれて殺害されてしまいました。

その後、殺害に加担したものが次々と病死や不審死を遂げたため、山家公頼の祟りを恐れて祠を建てて守護神として奉ったのが「山頼和霊神社」の始まりだそうです。その後、仙台に残った山家の一族が宇和島の和霊神社から分祀してもらい屋敷内の祠に奉ったのが仙台の和霊神社の始まりです。

明治以降、一般の人も参拝できるようになり、今の広瀬通と東二番丁の交差点付近に社殿が作られましたが戦災で焼失したため仙台市中心部から北の台原へと社殿を遷しました。

もともと山家の屋敷は一番丁の広瀬通側にあり、明治維新後に一番丁付近が栄えるようにと山家の屋敷を商売人に貸し出したのが現在の一番町商店街の元となったという縁で、台原から今の場所に更に分祀されて奉られることになったそうです。現在、仙台には台原とフォーラス屋上の2ヵ所に和霊神社があるんですね。

仙台と宇和島、山家氏との関係等々、歴史の様々な流れのなかで一番町の守り神となった和霊神社は、今では商店街の人たちの多くの信仰を集めています。