東北大学医学部の敷地内に狼坂(オイヌザカ)という名前の坂道があるというので行ってみました。明治時代に新坂通を遮断して東北大学医学部が作られたので、市民が自由に行き来できるように門を閉ざさないということで、今も構内への入り口を遮るような門戸がなく開放されていて、付近の人々が自由に出入りしています。
北四番丁から北へ向かって構内へ入って行きましょう。地面は平らで坂道らしきものは見当たりませんね。道路の左側に医学部の校舎が立ち並び、右側には大学病院の建物群が並んでいます。
学生の駐輪場のところに短い坂道がありました。狼坂(オイヌザカ)です。郷土史研究家の佐々久さんが昭和57年(1982)に出版した著書「仙台あちらこちら」によると、
「仙台には古く七坂、八小路、七崎という語がある。七坂とはいろいろな数え方も異なるが・・・、大坂、扇坂、新坂、石名坂、元貞坂、茂市ヶ坂、狼坂をさし、この外にも米ケ袋に仲ノ坂がある。」
と書かれていて藤ヶ坂ではなく、この狼坂が仙台七坂のひとつに挙げられています。昭和59年(1984)に出版された田村昭さんの著書「仙台の珍談奇談」では仙台七坂として狼坂ではなく藤ヶ坂(藤ヶ崎坂)が入っているので、現在の仙台七坂に統一されたのは最近のことなのでしょうか。あるいは「いろいろ数え方も異なるが」と言っているように今でも人によって数え方が違うのかもしれませんね。
坂道の上に石碑が立っていました。まだ新しいもののようです。
石碑には「旧跡 狼坂 オイヌザカ(別名 衣紋坂 エモンザカ)と書かれていました。
この石碑は平成8年12月に東北大学の同窓会が建てたもので、その歴史を記しておこうということで設置されたようです。
坂道の由来も書かれていました。それによると、
「医学部北門から南に延びる旧新坂通のこの辺りのゆるい坂道は八幡太郎源義家が後三年の役に奥州下向の折(1083年)万民を悩ます狼を退治し埋めた所と言い伝えられている」
ということだそうです。衣紋坂の由来は書かれていませんでした。
狼坂が、なぜ仙台七坂の定番に残れなかったのか不明ですが、他の坂に比べて一番短くて傾斜もゆるやかな、しょぼい坂道なのは確かです。ただ、坂の名前の由来としては一番しっかりした物語が残っている坂道でもあります。
※参考文献
佐々久「仙台あちらこちら」宝文堂
田村昭「仙台の珍談奇談」宝文堂